小室さんの父、敏勝さんの自殺についての記事

目次

父自殺の記事は、圭さんがスクープされてすぐ

小室さんがはじめて眞子さまのお相手としてメディアに出たのは2017年5月16日
翌日には出勤風景がテレビに映され、職場の玄関口でメディアの取材に応じた。

人物概要

・角田八十子(佳代の母 故人)
 高校まで鎌倉にあるお寺の3畳一間の借家に住んでいた
 ここで八十子の両親と3人で暮らし下駄店をやっていた
 八十子母(圭さんの曽祖母)が働いていた会社の寮に家族3人で引っ越しハウスキーパーの仕事をする
 佳代出産直前からリウマチになり闘病生活→大山ねずの命神示教会に入信
・角田国光(佳代の父 80〜2歳)
 横浜市港北区日吉の東和金型製作所で金型職人として定年まで働く
 妻(八十子)の影響で大山ねずの命神示教会入信
 圭が「パパ」と呼んでいる
 現在も大倉山のマンションで佳代さんと同居。
 (国光氏が取材されたことは今まで一度もない)
・小室敏勝
 実家は藤沢市の大地主の分家 敏勝氏の父親は長男ではなく藤沢市内のネジ工場勤務
 (本家筋の小室家は超豪邸 いくつもアパートや駐車場を経営しているが分家にはあまり恩恵は無かった)
 明治大学理工学部建築学科卒業、1988年横浜市役所に技術(建築)吏員として入庁
 横浜市役所で技官として「みなとみらい21」の設計にも携わっていた
 90年ごろ角田佳代と結婚 妻の影響で大山ねずの命神示教会入信
 国光(義父)にマンションを購入させられ転売され多額の借金を背負う
 2002年3月河原で自殺(享年38)→1週間後に敏勝氏の父親も自殺→母親も1年後に自殺
・小室佳代(角田佳代)
   1966年生まれ
   横浜の会社の寮に住んでいたが、74年、寮が取り潰しになり、八十子さんの同級生の仲介で、藤沢に    引っ越す。
藤沢市の木造平屋建ての家に家族5人で暮らす。
間取りは8畳と3畳。
佳代さんは、小学校3、4年で藤沢市の小学校に転校
地元の市立小学校、中学校を出た後、高校からは相模女子大学の附属に進学。
(女性自身2017.5.25)
相模女子大学短期大学部、家政科で学んだ
(女性自身2017.7.25)
1990年ごろ、敏勝氏と結婚
1991年10月5日、圭さんが生まれる
 2002年敏勝さん自殺
   敏勝氏の死後、霊媒師(大山ねずの命神示教会?)と行動を友する
 敏勝氏の死後すぐ近所の彫金師の男を養い、知人に「父親です」と紹介する
 小室家の財産分与の話し合いに代理人の知人(元反社で佳代さんと長年付き合いのあるA氏)を行かせる
 敏勝氏の保険金がおりたのは死後、7年後 (ネット情報)
 東京都目黒区の洋菓子店「マッターホーン」(代表取締役社長 金子亮一)でパート
 2007年に付き合い始めた男性(元婚約者と言われている渦中の人)と2010年に婚約 圭の学費や留  学費用を出させ2012年に婚約解消
 息子を「王子」と呼ぶ パート先まで大学生の息子と一緒に電車通勤
・小室圭
 ・3歳~小学校高学年:バイオリンを学ぶ(父の死によりバイオリンをやめる)
 東京都国立市の国立音楽大学附属小学校に通う(家族3人で国立で暮らす)
   2002年父自死
 2004年中高:品川のカナディアンインターナショナルスクール
 2010年8月:湘南海の王子に選ばれ1年間活動
    有名飲食店の社長令嬢と交際(時期不確か)
   2010年9月:国際基督教大学(ICU)教養学部アーツ・サイエンス学科入学 アルバイトをしながら大学 に通う
 2011年10月:テレビ朝日アナウンススクール「アスク」養成コース基礎科を約3カ月間受講
 2012年9月:カリフォルニア大学ロサンゼルス校へ留学
 2015年4月:大学卒業、三菱東京UFJ銀行丸の内支店勤務
 2016年夏:同行を退職、理由は「国際弁護士になりたいから」(時期については記事によりバラバラ)
 2016年8月:奥野総合法律事務所・外国法共同事業勤務、パラリーガル 週3日バイト
 2017年4月:一橋大学大学院にて国際企業戦略研究科経営法務専攻(夜学)

週刊新潮 2017年6月1日号   父の自殺を最初に報じた記事

一家をよく知る、自宅近くのある飲食店主
「お父さんは体調を崩してしまい、一時期、藤沢市にあった実家に帰っていました。その後、再び自宅に戻って家族と住んでいたのですが……」(同)
 そして02年3月、佳代さんと小室さんが就寝中のことだった。
「佳代さんが言うには『突然、夫が1人で家から出ていった。悪い予感がしたので圭を連れて探しに行ったら、近くの河川敷で亡くなっていた』とのことでした。お父さんは、自ら命を絶ってしまったのです」(同)

女性セブン2017年6月8日号 自殺とまでは書かれていない父の死を伝える記事

◆なんの前触れもない父の死

「圭さんが10才のころ、敏勝さんが亡くなったんです。なんの前触れもない、急な別れだったと聞いています。敏勝さんの死からあまり時間が経たないうちに、祖父母も亡くなったみたいです」(前出・近隣住民)

父を失った悲しみは、小室さんを強くした。

「母さんのことは、ずっとぼくが守るから」

小室さんは、そんな決意を口にするようになった。

週刊現代2017年6月10日号 祖父も自殺だったと報じた記事

小室父敏勝さん
明治大学卒業後、88年に横浜市役所に入庁。
建築家の技官として勤務。将来を嘱望されていたが
「住宅事業課で働いていた時のことですが、体調を崩してしまい、役所を休みがちになっていました。すると02年3月に突然、亡くなってしまったんです。自ら命を絶ったと聞いています。」(小室家の知人)
敏勝さんの実家
「藤沢市にある敏勝さんの実家は、地元の大地主の分家にあたります。本家筋の小室家は豪邸で、親族全体でいくつものアパートや駐車場を所有しており、本来ならば圭さん一家も生活に困るようなことにはならなかったでしょう。」(前出、小室家の知人)
親族から
「敏勝さんの父親も息子を失ったショックで、1週間ほど後、自ら死を選んだんです。
圭さんは父親と祖父を早くに自殺で亡くし、祖母も病死していますから、父方の親族とはほとんど交流がなくなったでしょうね。それでも圭さんのお母さんは息子さんを立派に育て上げて立派だと思います。」
他の親族を訪ねたが「婚約は知っているが、特に報告はないです」「小さい頃しか会ったことがないのでわからないとのこと」

女性セブン2017年7月13日号  父、祖父の自殺を知り、宮内庁内部から不穏な雰囲気という記事 (宮内庁は本当に知らなかった?)

婚約会見目前、オクから聞こえる不協和音
眞子さま婚約者の小室圭さん、現在の年収に心配の声も
https://www.news-postseven.com/archives/20170703_575366.html
内親王としては13年ぶりとなる眞子さまの婚約発表が目前に迫っている。大学のキャンパスで運命の出会いを果たされ、5年もの時間をかけて育てた愛の結実に、世間からは祝福の声が多く届いている。一方で、身内であるはずの宮内庁内部からは、不穏な雰囲気が漏れ出していた。
父親の死が自殺だったこと、父親の死を苦にして祖父も自殺だったことが報じられた。
「眞子さまのお相手としてふさわしいのかという声が大きくなっている。
報道を通じて浮き彫りにされた小室さんの家族の過去が、そういった意見をさらに強くしてしまいました。」
(別の宮内庁関係者)

週刊女性2017年7月25日号  藤沢の小室家周辺取材「親戚とは疎遠」「敏勝氏の死因は心臓発作の突然死と知らされていた」

https://www.jprime.jp/articles/-/10102

藤沢の小室家と圭くんの小室家では、付き合いがなくなっているからですよ。

 15年くらい前に圭くんのお父さんが突然亡くなって、その後、あとを追うように圭くんの祖父も亡くなりました。圭くんのお父さんには兄弟がいましたが、遠くへ婿入り。

 その後、圭くんの祖母も亡くなったので、敏勝さんの実家は取り壊しになり、疎遠になったんですよ

ある親戚の証言、自殺とは知らされていなかった?

私は心臓発作のような突然死だったと聞いていますよ。でも、それにショックを受けて、すぐに敏勝さんの父、つまり圭さんのおじいさんが自宅であとを追うように……。

 圭さんのおじいさんは、藤沢の金属加工工場で働くサラリーマンをやっていたまじめな人でしたよ

週刊文春2018年5月3・10日号  敏勝氏の自殺について佳代さんが語ったこと

ある日のこと、佳代さんが血相を変えて突然店に入ってきたという。
「お父さん(敏勝さん)が首を吊って自殺した!」
「その晩、佳代さんと圭さんが寝ているときに、バタッと大きな音がしたので起き上がると、敏勝さんが玄関から出て行くのが見えたそうです。佳代さんは、しばらくうとうとしていたそうですが、ハッとして圭くんを抱きかかえ、後を追った。しかしすでに手遅れで、敏勝さんは近所の川辺で首を吊っていたというから驚きました」

週刊文春2018年5月3・10日号  佳代さんの周りの人間関係

敏勝さんと祖父のお墓まで取材に行っている記事だが、祖母の自殺までは書かれていない。
藤沢で取材した、親族との話し。
以下、引用
父敏勝さんと当時9歳の圭さん(軽井沢で)
眞子さまとの婚約延期の引き金となった小室家の借金問題。そこには圭さんの父親の不在が大きく影響している。なぜ父は若くして自殺したのか。皇室関係者の多くが関心を寄せる、その真相を探るなかで見えてきたのは、小室母子が歩んできた「修羅」の半生だった。
◆ ◆ ◆
以下、小見出し以外は全て記事からの引用
小室敏勝さんの実家
 昨年の10月初め、小室圭さん(26)は、藤沢市西部に位置する小田急江ノ島線沿線の駅から歩いて10分ほどの家をひとり訪ねた。
 その家は四方を立派な石塀に囲まれ、門をくぐると中庭に手入れの行き届いた立派な松が何本も植えられている豪邸だ。
 表札には「小室」とあるが、圭さんがその家を訪れたのは20年ぶりのことだった。眞子さま(26)との婚約内定会見を終えてから約1カ月。スーツ姿の小室さんは、この日も緊張した面持ちで現われたという。
 小室家の親族が語る。
「ちょうど地元のお祭りがある日でした。その数日前に、圭くんから『婚約しました』という連絡があったので、一度、遊びにいらしてくださいと伝えたんです。
 毎年、お祭りの時期には、小室家の親戚一同が集まって食事会をします。その日も20人ほどが集まっていました」
 圭さんは小室家の分家筋に当たり、この日、訪れたのは小室一族の本家だ。小室家はこの豪邸のほかにも、隣接する600坪の駐車場をはじめ、周囲に広大な土地を持つ大地主だ。
 一族の当主である小室蔵造氏(92)が語る。
「小室家は元禄時代から続く農家で、この辺り一帯に山林や畑を所有していました。昔は、主に麦を栽培していたのですが、日本人の食生活が変わり、あまり麦を食べなくなってからは、ニンジンやホウレン草を作るようになった。
 私は7人兄弟の長男で、兄弟のなかで私だけが百姓になったので、この辺りの土地は、すべて私が相続しました。弟たち2人はサラリーマンになった」
 そのうちのひとりが、圭さんの祖父、小室善吉さん(故人)だ。
 なぜ圭さんは20年も本家と疎遠になっていたのか。
 この時の食事会について親戚はこう続ける。
「圭くんは、ほとんど初めて顔を合わせる親戚たちと、楽しそうに会話していました。4時間は滞在していたと思います。眞子さまと結婚するということで、私たちも祝福しました。
 ただ、母親の佳代さん(51)はその日は来ませんでした。もう20年以上お会いしていません。旦那さんがご存命の時にまだ小さい圭くんを連れていらしたのが最後です」
 実は、この家から歩いて15分ほどの寺には、圭さんの父、敏勝さんが眠る。お墓は山の中腹に位置し、眼下に広がる公園には、つつじや藤の花が一面に咲き誇っていた。
佳代さんが語った夫の最期
「小室家」と彫られた墓石の裏側を見ると、そこにはこう刻まれていた。
「平成十四年三月五日 敏勝 三十八才」
「平成十四年三月十二日 善吉 六十四才」
 敏勝さんが亡くなったのは今から16年前。そしてわずかその1週間後に、祖父の善吉さんも亡くなっている。まだ圭さんが10歳の頃のことだ。
 冒頭の小室家の食事会から4カ月後の今年2月、圭さんと眞子さまの結婚関係の儀式は、再来年に延期されることが発表された。
〜〜
一体、なぜ敏勝さんは自殺したのか。
 敏勝さんは当時、横浜市役所の職員だった。88年に明治大学理工学部建築学科を卒業し、最初は瀬谷区建築課に配属された。
祖父は1週間後に後追い自殺
 入庁早々、同期数名と共に「都市活性化の核となる文化施策」と題する論文を執筆。横浜を東京に負けない魅力ある都市にするために、〈音楽に焦点を当て、その魅力を生かした幾つかの施策〉を提言していた。
 その後、92年に都市整備局都市デザイン室へ異動。その6年後には当時、造成中だった「みなとみらい21」推進部計画推進課に配属されている。
 都市デザイン室時代の同僚が語る。
「横浜市は田村明というカリスマ的な地域政策プランナーを招き、都市デザインを任せていた。小室さんはその流れを汲む部署で伸び伸びと仕事をしていました。やりがいがありましたし、持ち前のクリエイティビティを活かせる場だったんだと思います。その後に異動した『みなとみらい21』推進部も、市が力を入れていた花形の部署でした」
 しかしその2年後、住宅事業課に異動すると職場環境は一変する。
「市営住宅の建て替えを担当する部署ですが、厳しい職場として有名でした。市営住宅には、低所得者や高齢者も多く住んでいる。その人たちに立ち退きを促したり、その後の身の振り方の世話をしなければなりません。つらい人の生活を受け止めないといけない仕事。その最前線で交渉する職員のストレスは大きかった。
 小室さんは重責に耐えかねたのか、やがて病気になり、仕事も休みがちになってしまいました。そしてまもなく亡くなっています。当時、職場では敏勝さんの死は病気によるものと、自殺の事実は伏せられていました」(同前)
プライベートでも問題を抱えていたと同じマンションに住んでいた住民が語る。
「亡くなる1、2年前の管理組合の会合の帰り道に、敏勝さんが『僕も色々と大変なんですよ。八王子に二世帯住宅を建てようと思っているんですが、上手くいかなくてね』と溜息混じりでした。その様子から、資金繰りに困っているようにも見えました。ただ、詳しいことはわかりません。結局、敏勝さんと会ったのはそれが最後になってしまいましたから」
佳代さんが小室家と縁が切れた理由
 敏勝さんの死の直後、佳代さんは幼い圭さんを連れて毎日のように、前述の喫茶店を訪れていた。
 マスターが語る。
「佳代さんは閉店した後も店に残って、泣きじゃくっていた。敏勝さんを亡くして、今後どう生活していけばいいのか、途方に暮れているようでした。不憫で見ていられなかった。夜遅くまでいて、寝てしまった圭くんを家まで送ってあげたこともあります」
 佳代さんと小室家との間に決定的な亀裂が生じたのは、この頃だった。
「実は、敏勝さんは体調を崩してから、一時期、両親の住む藤沢の実家に帰って療養していたそうなんです。しかし、それを佳代さんが無理矢理、自宅に連れ戻した。
 敏勝さんが自殺したのはそれからすぐのことでした。それで、親戚から『あなたが殺したようなものだ』と責められたそうです。佳代さんは私にそう話すと、泣き崩れました」(同前)
 さらに悲劇は続いた。
「佳代さんが『今度は藤沢のお義父さん(善吉さん)も、亡くなった』と。もう呆然としていた。息子の敏勝さんの死を気に病んで、1週間後に後追い自殺してしまったそうなんです」(同前)
 以来、佳代さんと藤沢の小室家の親族との連絡は途絶えた。
 それからしばらくして佳代さんはマスターにこんな相談を持ちかけている。
「実は、亡くなった善吉さんの遺産があり、圭くんの相続分があるはずなのに、小室家とは連絡が取れないし、弁護士を雇うお金もない。ついては自分たちの代理人として話し合いに行ってくれないか、というものでした。
(飲食店のマスターが元反社の人?)
 私は佳代さんが可哀そうだったので引き受けました。委任状を持って実家を訪ねると、敏勝さんのお母さんと、弟さんと思しき人が出迎えてくれた。予想とは違ってお茶も出してくれ、終始穏やかなムードで話し合いは進みました」(同前)
 このマスターの尽力もあってか、その後、協議の末に話はまとまったようだ。
 前出の蔵造氏が振り返る。
「善吉の遺産については、土地は敏勝の弟が相続する代わり、圭が現金をもらうことになった」
 実際に登記簿を確認すると、圭さんの叔父が02年3月に藤沢市内の130坪相当の土地を相続している。
 だが、善吉さんから幾ばくかの遺産が入ったとはいえ、この頃の佳代さんは、依然として経済面で苦境に立たされていたようだ。
元婚約者ー佳代さんのお金の使い方の違和感
 後に、佳代さんはこの頃のことを振り返り、X氏に以下のようなメールを送っている。
〈ご存知の様に大黒柱の主人がお財布を握る生活の中で専業主婦をしていました。主人亡き後8年間は模索しながらそれなりに働いてまいりましたが、私の収入はたかがしれています〉
 X氏が佳代さんと交際したのは、シングルマザーの親子の苦境を知り同情した面もあるという。
 佳代さんはそんな生活の中で、圭さんの将来という夢に賭けていたようだ。
 喫茶店のマスターは「うちの息子はバイオリンの天才です」と佳代さんがよく自慢していたのを記憶している。
 夫の死の2年後には、圭さんを中・高とカナディアン・インターナショナルスクールに通わせた。高額な学費も捻出したようだ。
 だが、こうした佳代さんのお金の使い方に、X氏は交際中から疑問を感じずにはいられなかった。
「佳代さんは僕に、圭くんの大学(ICU)の学費の他に月々の生活費を10万円ほど、たびたび要求してきました。
 ところが暮らしぶりは贅沢志向だった。圭くんの誕生日を祝うために、ウェスティンホテルの『龍天門』という高級中華料理店の予約を頼まれたり、友人と50万円はかかるクルージングパーティーを計画したりと、華やかな生活に強い憧れを持ち続けていました」
転がり込んできた男性と同居
 佳代さんとX氏は07年に交際を開始し、その後、婚約。そして12年に婚約を解消している。X氏は佳代さんと過ごす間に、驚かされた点がいくつもあったという。
 一つはこの金銭感覚。もう一つは人間関係だ。
元婚約者の方は佳代さんの元恋人、彫金師の男性とも会っていた
「ある時、会社でお客さんのカフスボタンを修理することになって、パリの会社に依頼したことがありました。ただ、戻ってきた品を見ると、きちんと修理されていなかった。それで、お客さんが激怒してしまい、困り果てていたんです。
 すると佳代さんが『知人に宝石を扱っている人がいるから直してくれるかも』と言って紹介されたのが、近所に住む彫金師のYさんでした」(X氏)
 その後、修理の打ち合わせも兼ね、X氏とY氏、そして佳代さんの3人で食事をした。その時、X氏は今も忘れられない光景を目の当たりにしたという。
「料理が出てくる前に、佳代さんがおもむろに、おしぼりを丸め出して、自分の鼻の辺りをコチョコチョと拭いていた。するとYさんが『やめろよ、お前!』、『汚ねえぞ!』と注意したんです。やけに馴れ馴れしい口調だったので一体どういう関係なのか、と違和感を覚えました」(同前)
 後に佳代さんに聞くと、Y氏とは数年間、同居していたと明かしたという。
「佳代さんの口から『Yさんが転がり込んできた』と聞きました。ただ、いつまでも居候を続けるので、普段はあまり感情を露にしない圭くんも怒って、『いつまでもここにいないでくれ!  出て行ってくれ!』と怒鳴ったそうです。それでYさんも出て行った」(同前)
 数年間、交際したX氏も理解しきれない面のあった佳代さんは、苛酷な少女時代を過ごしたようだ。
佳代さんの少女時代
 藤沢駅から車で20分ほどの場所に、佳代さんの育った家が今も残されている。
 平屋の木造建築で、ところどころ白いペンキが剥がれ、壁が剥き出しだ。間取りは三畳と八畳の二間。今から40年ほど前、佳代さんはそこに、両親、祖母、弟の5人で暮らしていた。
 旧姓は角田という。佳代さんの母親と親交のあった知人が語る。
「藤沢に引っ越してくる前は、ある会社の横浜市にあった社員寮で、一家で住み込みの管理人のような仕事をしていたそうです。寮の掃除などをしていたみたいですね」
 佳代さんの母親である八十子さんは、若くしてリウマチを患っていたという。
「料理を思うように作れず、お風呂にも満足に入れなかったようです。リウマチの症状に苦しんでいた八十子さんは、新興宗教の『大山ねずの命神示教会』に入信していました。
 ある時、私が母の介護で体が弱っていたので彼女に相談すると、『あなたも入ってみない?』と誘われました。『私たち家族みんな入っていて、子供たちの名前も、(教団関係者から)付けてもらったのよ』と。
 それで私も入信したんです。寄付を求められることはありませんでしたが、八十子さんの勧めで、家の部屋の四隅に盛り塩をしたりしていました」(同前)
(角田一家について「大山ねずの命神示教会」に確認を求めたところ、「お答えできません。理由は、信教の自由と個人情報保護の必要性です」と回答した)
 だがこの知人は、87年に教団の元信者が起こした、ある事件をきっかけに脱会した。その事件とは、元信者2名が「悪魔祓い」と称して別の元信者の首を絞め殺害。遺体をバラバラに切り刻むという凄惨なものだった。
「その後、八十子さんとは疎遠になりました。佳代さんについて覚えているのは、とにかくしっかりした子だったということ。弟の面倒をみたり、八十子さんの代わりに祖母と一緒に家事も手伝っていた」(同前)
<記事引用終わり>

女性セブン2021年1月7・14日号 父・敏勝さんの自死の詳細

発見当時の様子が他の記事と違う。

以下、引用
秋篠宮家の長女・眞子さま(29才)の婚約内定者・小室圭さん(29才)の家族を巡る状況に新展開だ。これまで、タブーのように詳細が語られてこなかった、小室圭さんの父・敏勝さんの自死。今回、その詳細を知る複数の関係者が重い口を開いた。すると浮き上がってきたのは、新たな登場人物を取り巻く、いびつな人間模様だった。この事実に秋篠宮家は何を思う──。
窓際のダイニングテーブルに射し込む陽光が、机上に広げられた東京・国立市周辺の地図を照らしている。小室さんの母・佳代さんと祖父が、神妙な面持ちで向かい合って座っている。  小室さんの父・敏勝さんが、前日の未明に自宅を出て行ったきり、戻ってこない。
パジャマ姿にスリッパを履いたままの状態で、24時間以上がゆうに経っている。知人の協力を得て自宅周辺をいくら捜しても見つからない……。
重苦しい空気を意外な形で切り裂いたのは佳代さんだ。突然、仁王立ちになって大声で義父に向かって怒鳴り散らし始めたのだ。 「小室は自殺している! それは全部あなたたちのせいだ!」
反論せず、じっと床を見つめて耐えている祖父の頭上に、更なる怒鳴り声が突き刺さる。
「あなたたちの愛情が足りないから彼は自殺したんだ!!」
小さな祖父の背中は、佳代さんの大声に反応する機械のように、罵声を浴びるたび、どんどん丸く小さくなる。その怒号がやんだのは、見かねた親族が割って入ってからだった。
 翌日、立川警察署から電話が入った。多摩川近くで見つかったという。
佳代さんの発言通り、敏勝さんは自殺を選んだのだ。
そしてその1週間後、後を追うように、面罵された祖父も首を吊って自殺した──。
 小室家の関係者は、佳代さんの電話越しの声が耳から離れないという。 《あのね、義父が死んだの! (敏勝さんの)弟は言葉を濁しているんだけど、どうも首を吊ったみたい!》
これは今回初めて明らかになった、いまから19年前の3月、小室さんが小学4年生のときの出来事である。小室家の関係者が語る。
「敏勝さんは、穏やかな人でしたよ。全然怒らない人で、おとなしくて。佳代さんが言うことを否定しない人で、何を言われても、“そうだね”と静かにうなずいて、なるべく彼女が自由にできるようにしていました。  仕事も一生懸命でね。小室さんの国立音楽大学附属小学校の進学に合わせて東京・国立市に引っ越してからは、勤務先の横浜市役所まで通勤するため、朝は小室さんが寝ている6時には家を出て、小室さんが寝てから帰ってくるような生活だったようです」
 子煩悩で、佳代さんの意思にも従順な敏勝さん。何かをがまんするなら、常に自分自身だったのだろう。関係者が続ける。
「そうした生活の影響もあって、(2001年の)夏頃に体調を崩したようです。部署異動によって希望の仕事もできず、上司との折り合いもつかなかったことについても悩んでいました。見るからにやつれて、目にも生気が宿ってなくて。明らかに心の病だと思って、佳代さんに心療内科に通わせた方がいいんじゃないかと言ったんです。そしたら、“いやよ、病院に行かないのは本人の勝手だから”と。随分と冷たい人だなと思いました」
別の小室家の関係者は、嫁姑問題を指摘する。
「同じ頃、佳代さんは敏勝さんのお母さんとこじれていましてね。敏勝さんがマイホームを建てようとしていたんです。建築学科を出ている敏勝さんはマイホームを建てるのが夢でしたから。  敏勝さんのご両親がいろいろと支援をしてくれたそうなんですが、それに乗じて、佳代さんが家具とか内装にお金を掛けようとして予算が大幅にオーバーしちゃったみたいなんです。それで、お義母さんと佳代さんが大げんか。間に入った敏勝さんはほとほと困っていましたね」
 家族、職場、実家──どこにも居場所がなくなった敏勝さんが、得意ではないお酒に手を出したのはこの頃だ。そして、敏勝さんが自ら命を絶つことになる2002年。正月早々、小室家をよく知る知人のところに、佳代さんから電話があったという。 「佳代さんと小室さんは、2人で実家のある横浜方面に帰るので、体調が悪いのにひとりで国立市に残る敏勝さんの様子を見ていてほしいと言うんです。心配なら一緒にいればいいのに“夫の食事、なんとかしてもらえます?”って。仕方がないから敏勝さんに電話をしたら、彼は遠慮したのか“もうよくなったから気にしないでください。寝てますから大丈夫ですよ”と答えました。  ただ、後から佳代さんに聞いた話では、そのときに敏勝さんは行方不明騒動を起こしていたんです。半日ほど多摩川の河川敷で過ごし、音信不通になっていたそうです」(小室家をよく知る知人)  多摩川。敏勝さんがここで自ら命を絶つのは、この2か月後のことだ。年が明けて間もない寒空の下の河川敷で、敏勝さんは何を見て、何を思っていたのだろうか
引用終わり

女性セブン2019年3月21日号 語られなかった祖母の死

以下、引用

語られなかった「祖母の死」
「敏勝さんは、明治大学理工学部建築学科を卒業後、横浜市役所に勤務していました。饒舌な奥さんとは対照的に寡黙な方でした。ところが、いつからか、仕事が多忙を極めたことと、お金の問題を抱え、弱ってしまったようです」(小室家の知人)
小室さんが幼少の頃、小室さん一家は3人でアパート住まいをしていた。
その一方で、敏勝さん名義でマンションを購入し、そこに佳代さんの両親を住まわせていた。
「当時、佳代さんの両親と一緒に住むための二世帯住宅を建てる計画があったそうです。公務員である敏勝さんの収入では、バイオリンなどの圭くんの教育費に加え、佳代さんの実家を支えるお金を捻出することが厳しかったのではないでしょうか。
敏勝さんは体調を崩し、実家に帰って療養するようになった。ある日、佳代さんが圭くんを連れて敏勝さんを迎えに行き、アパートに戻ってきた。それからすぐ、敏勝さんは自ら命を絶ったそうです」(前出・小室家の知人)
38歳という短い生涯を自ら閉じたことで、敏勝さんの両親の落胆ぶりは凄まじかったと、小室家関係者が語る。
「両親ともに、とても明るい性格の方でした。しかし、特に敏勝さんの父親は憔悴しきってしまい、食事が喉を通らなくなってしまった。葬儀が一通り済んだところで、父親も自死したんです」
一家を襲った悲劇の連鎖。
だが、その直後に佳代さんが意外な行動をとった。
「当時、長男と夫の相次ぐ死で、敏勝さんの母親は心身ともに限界でした。そこに、『佳代さんの知人』を名乗る男性から連絡が入ったそうです。聞けば“父親が亡くなった”のなら孫の圭に遺産を相続する権利があるので交渉したい”という話だった。
確かに落ち着いたら遺産は整理しなければなないけれど、まだ悲嘆にくれている母親に対して“よくそんな話ができるな”と親族の間で話題になりました。ある親族は`佳代さんは本当に怖い”と呟いていました」(前出・小室家関係者)
その後、敏勝さんの実家で遺産相続の話し合いが行われた。
出席者は、敏勝さんの母親と弟、そして佳代さんの知人の男性の3人。
その結果、小室さんが相当な額の現金を相続することになったという。
本誌は佳代さんの知人男性に話を聞いた。
「佳代さんは当時、“住む家がなく、親元に転がり込んで肩身の狭い思いをしている”“夫の実家に連絡しても相手にしてもらえない”と涙を流し、私に遺産交渉の代理人になってほしいと頼みました。私は昔暴力団に関係していたこともあり、そうした経歴が利用できると思って、近づいてきたんでしょう。後から知ったのですが、本当は、敏勝さんが購入したマンションに佳代さんの両親が住んでいたので、“住む家がない”がないと言うのは嘘だった。それを、遺産分割の交渉のためなのか、敏勝さんの実家に隠していたようです。圭くんに遺産相続がされるとするに佳代さんは、私に一言の例もなく、突然“この件から一切、手を引いてくれ”といってきました。それ以来、絶交しています」
敏勝さんと父親の2人の墓は冒頭の寺院にある。
墓石には施主として、母親の名前が刻まれている。
別の小室家の知人が語らう
「お母さんは気丈で明るい方でした。しかし、2人の家族の死から1年経った頃でしょうか。お母さんも2人の後を追って自ら命を絶ったんです。小室家の墓には今は3人が眠っています」
引用終わり

全ての記事に出てこない佳代さんの父と弟

この記事にも、他の記事にも一切出てこないのが佳代さんと現在も同居中である父、国光氏と佳代さんの弟について。
弟さんについては名前も出てこない。
国光氏は同居中とのことで、圭さんのマンションの前にはマスコミのカメラがいつもいたと思うのだが、一度も写真もコメントも出たことがない。
上のような家族の詳細記事の中にも出てこない。
篠原常一郎さんの動画では、「角田」の姓はある反社組織の上の方に多い苗字だとして、現在取材中だという。
もしそうなら、マスコミはあえて避けていたことになるし、知っていたということになる。
宮内庁だって知らないはずはない。

 

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